-14.12.25
OSCA, Lancia,
Ferrraiの新着モデルです。
PINKOのOSCA 750S、TRON/BEE BOPのFerrari、RARE MODELのLancia
D50等の1/43ハンドメイドモデルが入荷しました。
NEW!!PINKO:
OSCA 750S "Le Mans" 1958-1/43レジンハンドメイドモデル
イタリア・ローマのレジンキット・ハンドメイドモデルブランドGAMMA
MODELが手掛けるセカンドラインのPINKOの新作です。
Maserati兄弟が自らの名を冠した自動車メーカーMaseratiの経営権を実業家のオルシ(ORSI)一族に売却・退社後、1947年、ビンド、エルネスト、エットーレのマセラティ3兄弟は故郷ボローニャに戻って再びその原点であるレーシングモデル造りに取り組んだ自動車メーカーOSCA(*Officina
Specializzatta Construzione Automobili)を設立しました。
1954年のセブリング12時間耐久レースでデビューしたこの750cc-DOHC4気筒エンジン搭載80HPを発生するType
S ロードスターは レースではミッレ・ミリアはじめ主に小排気量のカテゴリーで活躍、数多くのクラス優勝を飾りました。 モデルのOSCA
Spider 750は1958年のフランス、ル・マン24時間レースOSCAレーシングチームからフランス人ドライバー、
Laroche-Radix組のドライブで見事完走して総合14位となった車両です。
Ferraraのカロッツエリア・MORELLI製の滑らかなボディを形状はじめモデルでも細部迄旨く再現しています。(*専用ケース入り)
*Front View |
*Side View
(*Driver: Jean Raroche/Remy Radix) |
NEW!! TRON/BEE BOP: Ferrari 212 Uovo "Giro
di Sicilia 1951-1/43レジンハンドメイドモデル
イタリアのレジンキット、ハンドメイドモデルの老舗ブランドTRONのセカンドラインBEE BOPの新作Ferrari
212 "Uovo"です。
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*上写真は付属の栞にも写っている1951年のジロ・ディ・シチリアでスタートに臨むG.マルゾットの実車です。 |
ミッレミリアで2度の優勝を飾るなど、現在も高級服地で有名なイタリア有数の繊維会社を所有する富豪で同時に熱心なモータースポーツ愛好家でもあったマルゾット一族のジャンニーノ・マルゾット(Giannino
Marzotto)は1951年エンツォの許可を得てフェラーリ212をボディの無い状態で購入し、彫刻家のレジアーニにデザインさせた独特のクーペボディをパドヴァのカッロツェリア・フォンターナ(*Carrozzeria
Fontana)の手で架装しました。 卵の形を思わせるその丸い姿からイタリア語で卵を意味する「Uovo」のニックネームが付けられました。 自らのレーシングチーム"
Scuderia Marzotto"を率いてG.Marzottoは1951年のジロ・ディ・シチリアにこの車で出場しました。
地中海最大の島、シチリア島の公道を使って行うこの自動車レースはミッレミリアより古い1912年始った第一回から1914年まで3回行われその後1948年に復活してから1957年迄、島内各地を巡る総距離1,050Kmで行われました。
このレースではマルゾット・チームの長兄のヴィットリオ・マルゾット(Vittorio Marzotto)がやはりFerrari
212 Exportベースのフォンターナ製のスパイダーコルサを駆って優勝しています。
残念ながらこのレースではこのFerrari 212 Export Coupe "UOVO"はリタイアとなりましたが、この独特のスタイルを持つ車で衆目を集めました。
このモデルでもその特徴的なボディスタイルをはじめ、夜間走行様に付けられた反射鏡などハンドメイドならではの作りで実車の持つ個性的なスタイルを旨く再現しています。(*専用ケース入り)
*Front View |
*Side View(*Driver: Giannino Marzotto) |
*左ヘッドライトに夜間走行時に威力を発揮する拡大反射鏡が設けられています。 |
*リアウィンドウ越しにスペアタイヤが覗きます。 |
NEW!!RARE MODELS:
Lancia D50 Proto. 1954 & Lancia-Ferrari D50 GP Monaco 1956
-*1/43レジンハンドメイドモデル
イタリア・フィレンツェの北に位置するトスカーナの都市ピストイア(Pistoia)のハンドメイドブランド、RARE
MODELSの新作限定品、Lancia D50のレジン製ハンドメイドモデルです。
ブランドネーム通りレアな車種をモデル化しています。
ランチアが開発した唯一のF1グランプリマシンで有名なD50です。
1954年に初めてテスト走行を行ったプロトタイプと1955年フェラーリに譲渡されてから改良を受けたLancia-Ferrari
D50の1956年モナコGP出場の車両です。
Lancia D50 Proto.
1954
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*上はトリノのカゼッラ空港でD50テストカーとドライバーのAlberto Ascariです。 |
1954年のシーズンをもってB20やB24、D24などによるスポーツカーレースから撤退して、念願のF1 Grand Prixへの参戦を目指したランチアは、ボディの両サイドに燃料タンクを設ける独創的なマシンD50を開発しました。 ヴィットリオ・ヤーノが手掛けたエンジンは自然吸気2,500cc以下の規定に合わせて250HPを発生する2,480ccのDOHC-V8ユニットをフロントに、トランスミッションをリアに配して前後重量比50:50を実現しています。 エンジンもシャシーの構造材として使用する事で2倍近く剛性を上げる事に成功しています。更に最大の特徴であるコックピットの両サイドに配された燃料タンクは、レース進行に伴う燃料消費に因って変化する車重の影響を避ける他に前後車輪の間を埋める空力パーツとしても利用するという革新的なアイデアでした。 このテストカーは1954年2月20日、トリノのカゼッラ空港で滑走路を利用してアスカリの手でテスト走行を行ったプロトタイプ1号車のD50です。 実戦ではシーズン最終戦のスペインGPに登場したD50はAlberto
Ascariがポールポジションを獲得し、クラッチトラブルでリタイアするまでトップを維持してその性能を証明しました。 RAREMODELのこのモデルでもその特徴を細部まで正確に再現しています。(*専用ケース入り)
LANCIA D50 Proto.-Test Aeroporto
Caselle- 1954
RARE43027 : (RED ) ) ※完売
*Sold out
*後ろのランチアD24のモデルはブルム製の1/43ダイキャストモデルです。(別売)
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*Rear View
*D50の特徴である重量バランスを考えてボディサイド両側に取り付けられた燃料タンクの支持ステーや配管等のディテールもハンドメイドならではの表現で精密に再現しています。
*LANCIA D50のネーミング入りのカーボン調のベースプレートにセットされています。
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Lancia-Ferrari D50
GP Monaco 1956
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1956年5月11日、モナコGPでのFerrari-D50です。 |
1955年シーズン、財政難とエースドライバーのアスカリを事故で失った事からランチアはF1から撤退を決め、革新的なF1マシンLANCIA-D50は僅か1年でフェラーリに譲り渡されると言う数奇な運命をたどる事になりました。 1956年シーズンでフェラーリはドライバーに名手ファンジオを迎え、アルゼンチン、イギリス、ドイツGPで勝利してドライバーズタイトルを獲得しています。
フェラーリに譲渡されてからフェラーリのエンジニアによってエンジンがショートストローク化され手が加えられたD50はLANCIA-FERRARI
D50とされました。 燃料タンクも座席後方に移されて特徴的な両サイドの燃料タンクも中味は空洞のエアロパーツ状態とされました。 1954年型ではボディサイドから後方に伸びていた排気管もその為に両サイドタンクを貫通する形に変わっています。 こちらも変更されたノーズ形状やリベット孔、その後ボディと一体化される(*名称もF801とされました)前の燃料タンクが独立した姿を精密に再現したFerrari-D50の貴重なモデルです。このN.22のD50は1956年5月11日、スポーツカーレースで活躍した後スクーデリア入りしたエウジエニオ・カステロッティのドライブでモナコGPに出場した車両です。(*専用ケース入り)
*Front View
*リアの形状もD50プロトから変えられています。
*燃料タンクはリアに移された為上部にフュエルキャップが付いています。
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*Side View (*Driver: Eugenio Castellotti)
*サイドの空洞になった燃料タンクを貫通する形で両サイドに排気管が出ています。
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